2012年10月31日

ありがとうございます

いくつかコメントを頂き御礼申し上げます。
個別返信は(忙しいので……)できておりませんがとても励みになります。本当にありがとうございます。
毎週更新は29日付けでちょっとお休みし、年内にまた再開します。
よろしくお願い致します。
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2012年10月29日

#92 ディアマン【楽曲解説・歌詞解釈】

#92 ディアマン
シングル『グッドラック』(12.01.18.)収録 ― track.2

←#91 グッドラック 『グッドラック』track.2

<<<歌詞へのリンク>>>

■基本的情報
22枚目のシングル『グッドラック』に初収録されたカップリング曲。もともとカップリング曲用のストックではなかったが、『グッドラック』のカップリングを決めるにあたり、弾き語りデモとして録られたまま進展していなかったこの曲をプロデューサーが提案。メンバーの意向もあり、そのまま弾き語りのアレンジに決まり、レコーディングされた。


■一般的解釈
シンガーとリスナー、ふたりの関係性を長い年月とともに描く物語歌詞である。
タイトルの「ディアマン」は、“ダイヤモンド”の英語読み“Diamont”(ディアマント)からであるという解釈が一般的。曲中の間奏部分で、バンドのデビューシングルである「ダイヤモンド」のフレーズが引用されていることも、この説を裏付けている。いわば視点を変えた、2012年の“ダイヤモンド”の物語なのかもしれない。ただ個人的には、「Dear Man(ディアー・マン、訳すと“(親愛なる)あなたへ”)」のダブルミーニングかな? という気持ちもちょっとだけ残る。


■個人的読み解き
メンバーである増川弘明という方は面白いひとで、インタビューでは時々、あなたバンプ・オブ・チキンのひとりのはずでしょう! というのに、まるで完全に外側のBUMPファンみたいな発言をされることがあります。「次のアルバム12曲くらいだと思ってました……」だとか、本当にファンが予測したがるようなことをさらっと言ってしまったり、そういう辺りもまた彼の人間的魅力のひとつなのですが……。で、増川はインタビュー中で、この曲を「この曲は僕が思う究極のカッコよさに最も近い」と評しています。
まさにその通りです。
個人的にも、これこそ藤原楽曲の真骨頂! というか、この世界観とか寂しさとか……こそを好んでBUMP OF CHICKENを聴いているわけですから、ほんとうに超ド直球大盛りマシマシ、という感じで(笑)、嬉しくなる曲です。

登場人物はふたりです。ひとりは「シンガー」。<他人は少しも 解ってくれ>ない孤独とその絶叫を、たった5Wのアンプに乗せて、ギターもどんどん歪ませて、きっと中古のしょぼっちいMTRに(もしかしたら、カセットレコーダーかも)ぎりぎりまで歌を詰め込んだ夜。<三日月>というモチーフは「ガラスのブルース」を彷彿とさせるもので、インディーズ時代のロックミュージシャンを思い起こさせます。
もうひとりは「リスナー」。きっと彼も、誰にもわかってもらえない(あるいは、そう思い込んでいるままの)少年で、シンガーの奏でたぎりぎりの音楽が体を走り抜けるさまに景色を塗りかえられます。<大好きなシンガー なんで好きなのか解らない>なんて一節は最高! 名フレーズだなぁ。これから僕も、「なんでそのバンド好きなの?」と聞かれたら、「なんで好きなのか解らない」って応えることにします。
閑話休題。<目を閉じれば すぐ側にいた 確かに>。この瞬間、シンガーとリスナーの、決して結ばれない、しかし二人だけの世界が眼下に広がります。早送りで廻る夏の青空、入道雲。たとえまぶたの向こう側が一人暮らし四畳半の薄汚いアパートの一室だったとしても、その音の先には青空と入道雲がある。指差せばきっとあの雲の袂にだって行ける。キラキラした音楽が走り抜けてさえいれば、そうさ、僕らの心は死なない。あの雲のように、自由に姿を変えながら、きっと遥か遠くにだってゆける。夏の風の吹きぬけるまま身をゆだねれば、人生なんてどんな形にも塗り替えて、きっと――。
けれどイヤホンを外せば、目の前には現実があって……。そうしてまで守らなければいけない、死なないはずのふたりの「心」を、やがて時間と現実が蝕んでゆきます。
<「常に誰かと一緒 似たような恰好 無駄に声がでかい」「話題は繰り返し ジョークはテレビで見た」「語り合い 励まし合い ケンカする 仲間が大事」>。流行を追いかけるだけのような、いつも誰かの顔色を見ながら生きるような、自分以外のだれかを大切にしようとするような風潮なんて、糞くらえ。自分はあいつらとは違う、「本物」を観ることができる人間なんだ――。そんな確信を持ちながらも、その確信がぶれることを恐れるが故に臆病になってゆく少年。いつしか自分が信じていた、あのシンガーの音楽へさえ疑ってかかってしまうようになります。変わり続けるのが人間のはずなのに、変わることを裏切りだととらえるリスナー。目の前の現実から眼を閉ざし、その向こう側の夏の青空だけを信じ続けようとする少年。でもそれは決して、確かに「現実逃避」と呼ばれることなのかもしれないけれど、少年にとっての自分の「心」を守るための必死の手段で、誰にもその行為を否定することは出来ないでしょう。
歌声の盛り上がりとも相まって、最高潮に近いほどの絶叫で歌われる2番のサビ。<大勢の人がいて ほとんど誰の顔も見ない/生活は続くから 大切な事だってあるから>。これほど大勢の人間がいながら、誰もが自分自身のことで精一杯。必死に心を閉ざし続ける少年が、実はずっと待ち望んでいる<ノックの音(「プレゼント」)>なんて来るはずが無くて、なぜならば誰も少年なんて気にも留めていないから。膨れ上がりすぎた自意識は、ますます自分の心を捉えることに躍起になります。<情報が欲しくて ドアからドアへと急いで/心は待てないから どうせ雲のように消えるから>。変わり続ける雲=心 を追いかけて、周りには目もくれずに走り続ける少年。でもそれを捕まえることは叶わない。きっと一生叶わない。どこかでそれに気がついていたとしても、臆病な少年はただ、恐れるが故に走り続けることしか出来ないのです。……まるでスローモーションのように描かれる一連の心象描写はあまりにも美しく、藤原の圧倒的な表現力が炸裂しています。
<何も知らないんだ 多分 全然足りないんだ まだ>。この後に挿入される「ダイヤモンド」のフレーズが脳天をこんがりと焼き上げてくれる感じ! 見事です。ひたすら、ひたすら、せつない間奏。
時は流れて、<変われなかった少年>。とうとう引き返せない場所に立っていた少年。自分がこれまで闘っていた「相手」って一体なんだったのだろう? かたくなに世界を拒み、他人を拒み、それでも許せなかった自分自身。気がつけば周りには誰も居ない。呼んでも誰も来ない。<解ろうとしないから 解ってくれなかった>。そうなのだ。いつだって現実は手を差し伸べてそっと待ってくれているのに、解ろうとしなかったのは自分自身なのだ。けれど、もう遅すぎる。自分はそこへは戻れない――。
シンガー。すっかり自分に嫌気もさして、なのに結局、同じテーマでしか曲は作れない。リスナーは離れ続けて、いよいよ俺も終わりだろうか。けれども、悲しいことに、それでも息は続いてゆく。あの日、三日月が覗いていたあの夜に、閉ざした瞼を、そっと開く主人公。
<目を開けたら 全て側にいた 未だに>
変わらないままのギター。アンプ。MTR。日差しの入らない四畳半。薄汚い畳。夕暮れ。生活の音。
何も変わらない。これほど変わったのに変わっていない。当たり前のことなのに、もはやこれが悲しいことなのか、嬉しいことなのかも、わからない。
いまもうたが、青空が、“ここ”にいてくれることは嬉しいことなのか。それとも、どうしようもなく馬鹿馬鹿しくて醜いことなのか。……ふたりには判別がつきません。本当は、いつか、誰かや何かを受け止めてさえいれば、心が待ち望んでいた「ノック」に素直になれる瞬間があったのならば、あるいは違ったかもしれないのに……。すっかり身も心も老け込んで、社会と迎合することも出来なくなったふたり。思い出したかのように、シンガーとリスナーは、再びその姿のままで向き合うことになります。
ギターをかき鳴らせば、イヤフォンを耳に突っ込めば、今でも変わらないままの青空と雲。悔しいぐらいに変わらない、あの日想い描いたままの、架空の夏の風景。
<アンプは絶叫した 懸命に少年に応えた/シンガーは歌った イヤホンから少年へと>。ここで描かれる“少年”とは、いずれもシンガー、リスナーのダブルでかかっている事はもうお分かりでしょう。人も心も変わり続けるのに、奥底にある部分だけはどうしても変わることができない。苦笑いするぐらいみっともない結末なのに、嬉しいような、やっぱり悲しいような。<何にだってなれる 今からだって気分次第>と<何にだってなれない 何を着ようと中身自分自身>は一見逆のことを歌っているように見えて、実はまったく同じことを伝えています。時間を経ても、心だけはどこへでも行ける。時間を経ても、心だけはどこにも行くことは出来ない。この、矛盾しているのに死ぬほど腑に落ちる結末を、この表現へとぎゅっと凝縮されています。
そして何よりも……。どれほど自分が変わってしまっても、相変わらず音楽だけは彼らと共に絶叫してくれるのです。いつでも、どんな時でも、アンプは彼らの想いを増幅させ、叫びへと変えてくれる。ただ一人だけに届く「叫び」。六十億の孤独がひしめくこの星で、誰もがその叫びを、がむしゃらにかき鳴らすしかないのだと思います。
生きることはつらく、孤独で、まったくもってぶざまで醜いことだけれど、醜いよなぁ、もうちょっと何とかなっていれば人生今頃はなぁ……と愚痴りながら、それでも次の日を生きてゆく。増川が言った「究極のカッコよさ」とは、その「敗者の物語」を、高らかに歌い上げ、感情を増幅させ、炸裂させ、そしてそっと寄り添い、慰めるということなのではないでしょうか。
正直、一般大衆という点でいうならキャッチーさはびっくりするぐらい低い曲なのですが(笑)、デビュー13年目、こういう楽曲が未だに出てくるということに、そしてその曲を聴くことが出来るということに、心からの喜びを禁じえません。
アレンジはシンプルですが、BUMP OF CHICKEN史上においても屈指の名曲と言えるでしょう。




※この楽曲に関するメンバーのインタビュー記事を集めています! コメント欄に、必ず「出典の雑誌・ページ・発言者(例:MUSICA 2011年1月号 45ページ・藤原)」を添えて、ぜひお寄せ下さい。ゆっくりペースで追加・追記してゆき、より充実した記事にしていきたいと考えています。
posted by ゆうろく at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ■カップリング曲

2012年10月22日

#93 firefly【楽曲解説・歌詞解釈】

#93 firefly
シングル『firefly』(12.09.12)収録 ― track.1

『firefly』track.1 #94 ほんとのほんと→

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■基本的情報
23枚目のシングル『firefly』に初収録されたシングル曲。2012年、「GOLD GLIDER TOUR」実施中、東京のスタジオで5月に完成。ツアーの真っ最中に藤原が曲作りをしたのはこれが初めてだった(ツアー中のレコーディングは「夢の飼い主」の前例がある)。
“firefly”は「蛍」の意。ライブで受けた情報量をそのままダイレクトに反映させた楽曲であり、シングルとしては久々に疾走感のある曲調となった。
珍しく藤原は、ほぼこの曲の主意であるところまでインタビューで語っており、<「夢は叶うよ」という言葉って、古くから言われていますよね。これって、実際には必ずしもそうならないからこそ生まれた言葉だと思うんです。(中略)欲望から生まれた大切な夢を、どうしても諦めなければいけなかった人たちがいる。道が閉ざされたら、切実な思いがあるほどその事実を受け入れるにはすごく時間がかかる。ただ、それでも勇気を出して諦めることは、歌詞には「黄金の覚悟」と書いていますけど、それはすごく輝きのある行為>と話している。


■一般的解釈
ほぼ上記で藤原が語った通りの楽曲であり、人間が「夢を諦める」瞬間の輝きを描いた作品。
1番では、「欲望」がやがて主人公の「夢」となり、自由に飛び去ろうとするその「光」(=夢)を必死に追いかけてゆく主人公の姿を描いている。
2番では、「どんなに頑張っても」どうしようもなくなり、遂に「光」を追いかけることを諦めることにした主人公の、その瞬間までのストーリーとなっている。
その後のCメロ部分では、「夢」を諦めても相変わらず進んでゆく社会や時間を残酷に、しかし的確に描き出し、圧倒的な大サビへとなだれ込んでいる。


■個人的読み解き
近年の藤原楽曲としてもかなり読み解きやすく、またストーリー性も強い(1番、2番と明快に物語が展開する)ので、ほとんど難しい箇所はないと言えます。
1番は本当にそのままで、難解な表現は<色んな場面を忘れていく>ぐらい。この箇所では「時間経過」を表現しており、既に過ぎ去ってしまった、夢を守ろうともがいた局面局面のことを指しているのでしょう。右に左に進路を揺さぶられながらも、わずかな光を見失わないように、社会の中でもがく主人公を描き出しています。
2番では、遂に、どうにもならない壁にぶつかってしまった主人公。夢が潰える、光を見失うその瞬間に主人公は<呼吸鼓動の 意味を考えた>。つまり生きている意味って何だろう、とまで(ふと、ですが)考えるほどに、追い詰められてしまいます。
しかし、見事な2番のサビ! <一人だけの痛みに耐えて(この痛みは自分以外には感じられない!) 壊れてもちゃんと立って/諦めた事 黄金の覚悟/まだ胸は苦しくて 体だけで精一杯/それほど綺麗な 光に会えた>。「黄金の覚悟」という言葉のきらめきもさることながら、この痛みの先に<それほど綺麗な 光に会えた>と救い上げてくるセンスは実に藤原らしいもので、見事です。最後の最後、殺し文句である<今もどこかを飛ぶ あの憧れと/同じ色に 傷は輝く>という一節は、本当に一瞬で、聴く者に“身体のどこかにある(心の)傷が、にぶく美しく輝いて見える”というファンタジックな一場面を空想させます。あまりにも素晴らしい! 「諦めた夢は今もどこかを飛んでいる」という一文からは、「Stage of the ground」の<君をかばって 散った夢は/夜空の応援席で 見てる>を彷彿とさせます。
『夢は叶う!』というテーマをもつ楽曲は数あれど、“夢を諦める”その瞬間の輝きを描き出したこの楽曲の着眼点は見事で、ほんとうの意味の“救い”と、何よりも圧倒的な“人間臭さ”を感じさせるものです。何かとネガティヴにとられてしまう、そして実際にネガティヴな行為である「夢を諦める」ということ。しかしそこに潜むそれまでの、その人が築き上げてきたドラマ、その人にしか抱けない物語は唯一無二で、圧倒的なものです。誰一人として共有できないこの物語を共有する、ある種の矛盾すらストーリー化して聴く者を鼓舞する、実に見事な楽曲であると言えるでしょう。
「夢」と人間の付き合い方を描いた作品では、ほかに「夢の飼い主」という楽曲もあります。





※この楽曲に関するメンバーのインタビュー記事を集めています!
コメント欄に、必ず「出典の雑誌・ページ・発言者(例:MUSICA 2011年1月号 45ページ・藤原)」を添えて、ぜひお寄せ下さい。
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2012年10月15日

#72 pinkie【楽曲解説・歌詞解釈】

#72 pinkie
シングル『HAPPY』(10.04.14)収録 ― track.2

←#71 HAPPY 『HAPPY』track.2

<<<歌詞へのリンク>>>

■基本的情報
16枚目のシングル『HAPPY』に初収録されたカップリング曲。「HAPPY」のシングル化が決まった際、「カップリングには“桜”の曲を書いてくれ」というプロデューサーからのオファーを受け、作曲された。

■一般的解釈
歌詞の中には「桜」と一言出てくるものの、一般的な「桜ソング」とはかなり印象を異にする楽曲。藤原はこの曲を「観念的な曲」(=具体的ではない曲)と語っており、「絵の具の色が混ざって色が変わって……7〜8色ぐらいの水彩絵の具が、水と一緒にグチャグチャって混ざって『何色の部分なんだろう?』っていう、その色が変わっていく境目みたいな歌詞だと思う」とも語っている。
サウンドは、『jupiter』〜『ユグドラシル』期を彷彿とさせるロック・サウンドだった「HAPPY」とは対照的に、明確に『orbital period』以降であることが解る、ストリングス・シンセサイザーなど、バンドサウンド以外の要素が多く含まれている作品。サビの疾走感とギターの音色も、「sailing day」よりは「カルマ」に近いものを彷彿とさせるものだ。
また、フェードアウトで終わる数少ない楽曲のひとつである。


■個人的読み解き
かなり難解な曲です。
情景描写も少なく、楽曲の視点も明言されないまま二転三転します。
最もキーとなる<未来の私が笑ってなくても あなたとの今を覚えてて欲しい>という歌詞からまず難しく、この「あなた」とは誰なんだよ、という壁にまずぶつかります。これを「自分以外の大切なひと」と訳すなら、その人との約束を果たせない(かもしれない)主人公が「未来の私」へ今を歌う曲。これを「自分自身」と訳すなら、過去の自分との約束を果たせないままの主人公が、いつか憧れた「未来の私」への想いを「過去の自分」に告げる曲、と読むことができます。これは、どちらでも良いでしょう。つまり自分の中の自分とひたすら一人喋りするという解釈になりますが、BUMP OF CHICKENの楽曲としては、これは決して珍しいものではありません。
<心の始まりは強すぎて>という一節は、何かに“憧れた”り、“夢”と名づけて遠い先の自分に掲げた約束だったりする。そうすると<言葉>だけでは自分の、その想いを支えきれない。けれども付け加えられるのは「言葉」しかないから、いろいろ“言い訳”して“理論武装”して、自分を鼓舞するしかない。でも結局かえってわからなくなってしまって、<弱くなって終わりにした>。つまり主人公は、「約束」を半ば諦めてしまったのだ……とまでは読み下せます。
<自分のじゃない物語>という一節。「約束」は、過去の自分が考えた約束なわけだから、つまり<(今の)自分(が考えたもの)じゃない物語>。そうして過去の自分を切り離してしまい、約束から逃げ出す、あるいは身を隠している主人公の姿が見えます。
でもそれは決して弱い行為ではなくて、このつらい<毎日>で息をするためには、仕方がなかった。仕方がなかった……。でも、その「仕方がなかった」って、誰に向かって言っているのだろう? <あなたのためとは言えないけれど/あなた一人が聴いてくれたなら もうそれでいい>。何とか繋がる……でしょうか。
<約束は誰かと作るもので 誰かが頑張り屋で>は、自分より頑張ってい(るように見え)て、どんどん自分や他人が掲げた目標をクリアしている<頑張り屋>。あるいはどんどん他人に<約束>を作らせてしまう<頑張り屋>。それに追いつけなくなってしまって、約束した相手だってとっくにそれを忘れてしまっていて、でも自分はまだ「果たせてない」わけだから、忘れられない。まだ<はじっこに隠して持ってる>。
つまり、この<ひとり見た桜>と手を繋いでいたのは、過去の“夢を抱いていた”自分自身なのではないか?
<過去からの声は何も知らないから 勝手な事ばかり それは解ってる>という歌詞にも繋がりますが、過去の声高な自分自身から逃げ切れなくて、それでもそっと対話し続ける「今の自分」。昔に掲げた「未来の私」がやがて「今の私」と入れ替わり、その私が笑えていなくても、それでも「今」の私と、笑うことは出来ないのかな?
自分の中で葛藤し、しかし最後には自分自身で結論付けている、そういう楽曲と言えるでしょう。<終わりにしたら始まって 言葉も心も超えて/ささやかな響きになって さよならの向こうへ>という復活への物語は、「オンリー ロンリー グローリー」の後半をも彷彿とさせる一節です。
……と、ほぼ1行おきに解釈を挟まなければ読みきれない、とにかく要素の多い、難しい曲です。疾走感もあり、なかなかの人気曲のようですが、ちょっと僕にはヘヴィだなぁ……。
ずっと後になりますが、2012年にリリースされた「firefly」は、「夢を諦めた人」への強い応援歌になっています。「firefly」はかなり視点的にも整理された、解釈もしやすい、テーマのはっきりした曲です。例えば「firefly」と実は同じテーマで、より内省的ものを表現したのが「pinkie」だ、と捉えてみると、この曲の別の一面が見えてくるかもしれません。
しかし、ここのコメント欄は荒れそうだ……。




※この楽曲に関するメンバーのインタビュー記事を集めています!
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2012年10月08日

#82 66号線【楽曲解説・歌詞解釈】

#82 66号線
アルバム『COSMONAUT』(10.12.15)収録 ― track.9

←#71 HAPPY 『COSMONAUT』track.9 #83 セントエルモの火

<<<歌詞へのリンク>>>

■基本的情報
6枚目のオリジナルアルバム『COSMONAUT』に初収録されたアルバム曲。2008年12月に作曲された「3曲」のうちの3曲目。「HAPPY」「セントエルモの火」が書けた後、スタジオに入るまでの時間で書いた作品。
この曲について藤原は、「ある親友」へ向けて唄ったものであると説明しており、「66号線」というタイトルについても、「その親友に縁の深い数字が66だから」だとしている。「この歌詞はしゃべるのが恥ずかしい」とも語っており、なかなかメンバーから言葉を引き出し切れているとはいえない曲だろう。


■一般的解釈
藤原楽曲としてはとても珍しく、もしかしたら「リリィ」以来ではないか、というほどにストレートなラブソング。とはいえ異性に向けられたものではなく、BUMP OF CHICKENのプロデューサーであるMORの森徹也に贈られたものである。「66」は森徹也のラッキーナンバーらしく、『人形劇ギルド』に登場する「66ギルド」の名称は、藤原自ら「ディレクター(当時の言い方、最近メンバーも「プロデューサー」と言うようになった)のラッキー・ナンバーです」と語っている→http://www.barks.jp/feature/?id=1000026866。なお、贈った相手をマネージャーである高橋ひろあきとする説もあるが、間違い。
そう解釈してみると、<声を無くしたら僕じゃなくなる それでも好きだと言ってくれますか>という辺りは、歌手である藤原とプロデューサーとの関係をダイレクトに描いていることが分かるし、<こいつにはなんにも敵わないなって 笑いながらさ/実は結構 傷つくんだぜ>という表現にも膝を打つものがあるだろう。
とはいえ、藤原楽曲で<それでも好きだと言ってくれますか>というストレートな表現が出てくることは極めて珍しく、シンプルかつストレートなラブ・ストーリー、と読むことは十分可能だろう。


■個人的読み解き
大好きな曲です。
主人公の「あなた」への想いが美しくも切実で、暖かでキャッチーなメロディーも相まって感動的です。アルバムの中盤に突然こんなラブソングが流れてくるわけですから、打ち抜かれないわけにはいきません。
そんな中でもシニカルな藤原。<声をなくしたら僕じゃなくなる>、<僕を無くしてもあなたでいられる>、<あなたを無くしても僕は生きていく>……。互いに好き合っている、なんて言葉がたとえば嘘っぱちで、もしかしたら利害の一致で好き合っているだけかもしれないし、仮にどれだけ「僕」のことがこの世の全てだよ、と言ってくれていても、「僕」がこの世からいなくなったって「あなた」は生きてゆけるという事実。たかがそんな程度の関係だよ。それでも、それでも「好き」だと言ってくれますか? ……この切実な視点は、旧来のラブ・ソングにはない、しかし見事な表現です。何で僕らは好き合えているのだろう? 本当にたったひとつのことで、実は壊れてしまうかもしれないこの関係を、けれどもこれだけは疑わないで欲しい、と歌うこの曲は、それまでの愛の表現が取り落としてしまってた何かを、的確にあらわしていると言えるでしょう。
特に個人的には<僕にだってきっとあなたを救える>という、もう、歯の浮くようなパンチラインにメロメロ……。そもそもこのアルバムは、「あなたと私は断絶している、あなたの助けに僕はなれない、でも傍にいさせて欲しい――」というメッセージが全編において貫かれています。そんな中で、この曲だけは「僕にだってきっとあなたを救える」と、より踏み込んで「あなたの助けに僕はなれる!」と断言しています。本当にこの曲だけです。長い間BUMP OF CHICKENを聴いていると、これほど藤原が(こういう場面で)断定的な言葉を使った場面など久しく見ていないものですから、なんだか感無量になってしまいます。
余談ですが、『COSMONAUT』の一年遅れレコ発ツアーだった「GOLD GLIDER TOUR」にひとり参戦した時――、僕の前には、一組の若いカップルが立っていました。しかしバンプはあまり聴いたことが無いらしく、ちょっと反応は鈍め。けれどもこの曲の演奏が終わったときに、はじめて互いにそっと見つめ合って、「いい曲だね」「いい曲だったね……」と言葉を交し合っていたのが、なんだか良かったなぁ……。なんかほんとに「爆発しちゃえ!」って感じだったけれど、きっと二人にとって、特別な曲になっただろうなぁ……。
たまたまこの3回の更新で、「藤原の○○に宛てた曲だ」なんて裏話の解説が続きましたが、忘れないで欲しいのは、私たちはそれをどうとでも読み替えて、書き換えてしまってもよいということ。裏話を知ることで、曲をより深く読み取ることが出来ます。けれども行き過ぎて、この曲を「藤原とプロデューサーの曲だ、それ以外の読み方は誤読だ!」としてしまうのは、それこそ本当にバンプの楽曲の見方を狭めてしまうものです。作られた背景を踏まえた上で、けれどもあなたの物語こそを投影させて、やがては自分にとっての特別な曲になってゆくことが、BUMP OF CHICKENの本当の魅力だと僕は思います。




※この楽曲に関するメンバーのインタビュー記事を集めています!
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