2012年10月29日

#92 ディアマン【楽曲解説・歌詞解釈】

#92 ディアマン
シングル『グッドラック』(12.01.18.)収録 ― track.2

←#91 グッドラック 『グッドラック』track.2

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■基本的情報
22枚目のシングル『グッドラック』に初収録されたカップリング曲。もともとカップリング曲用のストックではなかったが、『グッドラック』のカップリングを決めるにあたり、弾き語りデモとして録られたまま進展していなかったこの曲をプロデューサーが提案。メンバーの意向もあり、そのまま弾き語りのアレンジに決まり、レコーディングされた。


■一般的解釈
シンガーとリスナー、ふたりの関係性を長い年月とともに描く物語歌詞である。
タイトルの「ディアマン」は、“ダイヤモンド”の英語読み“Diamont”(ディアマント)からであるという解釈が一般的。曲中の間奏部分で、バンドのデビューシングルである「ダイヤモンド」のフレーズが引用されていることも、この説を裏付けている。いわば視点を変えた、2012年の“ダイヤモンド”の物語なのかもしれない。ただ個人的には、「Dear Man(ディアー・マン、訳すと“(親愛なる)あなたへ”)」のダブルミーニングかな? という気持ちもちょっとだけ残る。


■個人的読み解き
メンバーである増川弘明という方は面白いひとで、インタビューでは時々、あなたバンプ・オブ・チキンのひとりのはずでしょう! というのに、まるで完全に外側のBUMPファンみたいな発言をされることがあります。「次のアルバム12曲くらいだと思ってました……」だとか、本当にファンが予測したがるようなことをさらっと言ってしまったり、そういう辺りもまた彼の人間的魅力のひとつなのですが……。で、増川はインタビュー中で、この曲を「この曲は僕が思う究極のカッコよさに最も近い」と評しています。
まさにその通りです。
個人的にも、これこそ藤原楽曲の真骨頂! というか、この世界観とか寂しさとか……こそを好んでBUMP OF CHICKENを聴いているわけですから、ほんとうに超ド直球大盛りマシマシ、という感じで(笑)、嬉しくなる曲です。

登場人物はふたりです。ひとりは「シンガー」。<他人は少しも 解ってくれ>ない孤独とその絶叫を、たった5Wのアンプに乗せて、ギターもどんどん歪ませて、きっと中古のしょぼっちいMTRに(もしかしたら、カセットレコーダーかも)ぎりぎりまで歌を詰め込んだ夜。<三日月>というモチーフは「ガラスのブルース」を彷彿とさせるもので、インディーズ時代のロックミュージシャンを思い起こさせます。
もうひとりは「リスナー」。きっと彼も、誰にもわかってもらえない(あるいは、そう思い込んでいるままの)少年で、シンガーの奏でたぎりぎりの音楽が体を走り抜けるさまに景色を塗りかえられます。<大好きなシンガー なんで好きなのか解らない>なんて一節は最高! 名フレーズだなぁ。これから僕も、「なんでそのバンド好きなの?」と聞かれたら、「なんで好きなのか解らない」って応えることにします。
閑話休題。<目を閉じれば すぐ側にいた 確かに>。この瞬間、シンガーとリスナーの、決して結ばれない、しかし二人だけの世界が眼下に広がります。早送りで廻る夏の青空、入道雲。たとえまぶたの向こう側が一人暮らし四畳半の薄汚いアパートの一室だったとしても、その音の先には青空と入道雲がある。指差せばきっとあの雲の袂にだって行ける。キラキラした音楽が走り抜けてさえいれば、そうさ、僕らの心は死なない。あの雲のように、自由に姿を変えながら、きっと遥か遠くにだってゆける。夏の風の吹きぬけるまま身をゆだねれば、人生なんてどんな形にも塗り替えて、きっと――。
けれどイヤホンを外せば、目の前には現実があって……。そうしてまで守らなければいけない、死なないはずのふたりの「心」を、やがて時間と現実が蝕んでゆきます。
<「常に誰かと一緒 似たような恰好 無駄に声がでかい」「話題は繰り返し ジョークはテレビで見た」「語り合い 励まし合い ケンカする 仲間が大事」>。流行を追いかけるだけのような、いつも誰かの顔色を見ながら生きるような、自分以外のだれかを大切にしようとするような風潮なんて、糞くらえ。自分はあいつらとは違う、「本物」を観ることができる人間なんだ――。そんな確信を持ちながらも、その確信がぶれることを恐れるが故に臆病になってゆく少年。いつしか自分が信じていた、あのシンガーの音楽へさえ疑ってかかってしまうようになります。変わり続けるのが人間のはずなのに、変わることを裏切りだととらえるリスナー。目の前の現実から眼を閉ざし、その向こう側の夏の青空だけを信じ続けようとする少年。でもそれは決して、確かに「現実逃避」と呼ばれることなのかもしれないけれど、少年にとっての自分の「心」を守るための必死の手段で、誰にもその行為を否定することは出来ないでしょう。
歌声の盛り上がりとも相まって、最高潮に近いほどの絶叫で歌われる2番のサビ。<大勢の人がいて ほとんど誰の顔も見ない/生活は続くから 大切な事だってあるから>。これほど大勢の人間がいながら、誰もが自分自身のことで精一杯。必死に心を閉ざし続ける少年が、実はずっと待ち望んでいる<ノックの音(「プレゼント」)>なんて来るはずが無くて、なぜならば誰も少年なんて気にも留めていないから。膨れ上がりすぎた自意識は、ますます自分の心を捉えることに躍起になります。<情報が欲しくて ドアからドアへと急いで/心は待てないから どうせ雲のように消えるから>。変わり続ける雲=心 を追いかけて、周りには目もくれずに走り続ける少年。でもそれを捕まえることは叶わない。きっと一生叶わない。どこかでそれに気がついていたとしても、臆病な少年はただ、恐れるが故に走り続けることしか出来ないのです。……まるでスローモーションのように描かれる一連の心象描写はあまりにも美しく、藤原の圧倒的な表現力が炸裂しています。
<何も知らないんだ 多分 全然足りないんだ まだ>。この後に挿入される「ダイヤモンド」のフレーズが脳天をこんがりと焼き上げてくれる感じ! 見事です。ひたすら、ひたすら、せつない間奏。
時は流れて、<変われなかった少年>。とうとう引き返せない場所に立っていた少年。自分がこれまで闘っていた「相手」って一体なんだったのだろう? かたくなに世界を拒み、他人を拒み、それでも許せなかった自分自身。気がつけば周りには誰も居ない。呼んでも誰も来ない。<解ろうとしないから 解ってくれなかった>。そうなのだ。いつだって現実は手を差し伸べてそっと待ってくれているのに、解ろうとしなかったのは自分自身なのだ。けれど、もう遅すぎる。自分はそこへは戻れない――。
シンガー。すっかり自分に嫌気もさして、なのに結局、同じテーマでしか曲は作れない。リスナーは離れ続けて、いよいよ俺も終わりだろうか。けれども、悲しいことに、それでも息は続いてゆく。あの日、三日月が覗いていたあの夜に、閉ざした瞼を、そっと開く主人公。
<目を開けたら 全て側にいた 未だに>
変わらないままのギター。アンプ。MTR。日差しの入らない四畳半。薄汚い畳。夕暮れ。生活の音。
何も変わらない。これほど変わったのに変わっていない。当たり前のことなのに、もはやこれが悲しいことなのか、嬉しいことなのかも、わからない。
いまもうたが、青空が、“ここ”にいてくれることは嬉しいことなのか。それとも、どうしようもなく馬鹿馬鹿しくて醜いことなのか。……ふたりには判別がつきません。本当は、いつか、誰かや何かを受け止めてさえいれば、心が待ち望んでいた「ノック」に素直になれる瞬間があったのならば、あるいは違ったかもしれないのに……。すっかり身も心も老け込んで、社会と迎合することも出来なくなったふたり。思い出したかのように、シンガーとリスナーは、再びその姿のままで向き合うことになります。
ギターをかき鳴らせば、イヤフォンを耳に突っ込めば、今でも変わらないままの青空と雲。悔しいぐらいに変わらない、あの日想い描いたままの、架空の夏の風景。
<アンプは絶叫した 懸命に少年に応えた/シンガーは歌った イヤホンから少年へと>。ここで描かれる“少年”とは、いずれもシンガー、リスナーのダブルでかかっている事はもうお分かりでしょう。人も心も変わり続けるのに、奥底にある部分だけはどうしても変わることができない。苦笑いするぐらいみっともない結末なのに、嬉しいような、やっぱり悲しいような。<何にだってなれる 今からだって気分次第>と<何にだってなれない 何を着ようと中身自分自身>は一見逆のことを歌っているように見えて、実はまったく同じことを伝えています。時間を経ても、心だけはどこへでも行ける。時間を経ても、心だけはどこにも行くことは出来ない。この、矛盾しているのに死ぬほど腑に落ちる結末を、この表現へとぎゅっと凝縮されています。
そして何よりも……。どれほど自分が変わってしまっても、相変わらず音楽だけは彼らと共に絶叫してくれるのです。いつでも、どんな時でも、アンプは彼らの想いを増幅させ、叫びへと変えてくれる。ただ一人だけに届く「叫び」。六十億の孤独がひしめくこの星で、誰もがその叫びを、がむしゃらにかき鳴らすしかないのだと思います。
生きることはつらく、孤独で、まったくもってぶざまで醜いことだけれど、醜いよなぁ、もうちょっと何とかなっていれば人生今頃はなぁ……と愚痴りながら、それでも次の日を生きてゆく。増川が言った「究極のカッコよさ」とは、その「敗者の物語」を、高らかに歌い上げ、感情を増幅させ、炸裂させ、そしてそっと寄り添い、慰めるということなのではないでしょうか。
正直、一般大衆という点でいうならキャッチーさはびっくりするぐらい低い曲なのですが(笑)、デビュー13年目、こういう楽曲が未だに出てくるということに、そしてその曲を聴くことが出来るということに、心からの喜びを禁じえません。
アレンジはシンプルですが、BUMP OF CHICKEN史上においても屈指の名曲と言えるでしょう。




※この楽曲に関するメンバーのインタビュー記事を集めています! コメント欄に、必ず「出典の雑誌・ページ・発言者(例:MUSICA 2011年1月号 45ページ・藤原)」を添えて、ぜひお寄せ下さい。ゆっくりペースで追加・追記してゆき、より充実した記事にしていきたいと考えています。
posted by ゆうろく at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ■カップリング曲
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